ちょっと性格よくないかも
天才幼児とディープラーニング
乳児は天才だと聞いて、すごく納得した。ゼロから画像や音声や体感覚から意味のあるまとまりを切り分け、概念を分化させる。それでいてまるっこくてふわふわしていてかわゆいのだ。
ディープラーニングが、少しだけその乳児の領域に踏み込みつつあるようだけれど、問題は、まるっこくてふわふわしていてかわいいわけではないことだ。愛くるしさ希望。同じことサバンナで言えんの? というネタがあったけど、その通りだ。そんなんじゃ食べられちゃうぞ。
つまらなさって想像が難しい
某長期連載漫画をいくつかフォローしている。一時期は、メジャー週刊漫画誌を幼年~おっさん、男性向/女性向ともに一通り追いかけていたので、漫画を読まなくなったもんだと思う。
いくつかフォローしている、という時点で、面白いものを選別しているのだが、面白い連載が続くと、延々とその面白さが続くような錯覚にとらわれる。連載間隔が空いたりすると、それがまどろっこしい。突然未完で終わることは想像できるし、超展開で話が壊れることも想像は容易だが、現実には最も多いパターンである、ゆるやかに退屈なものに変質していく、というのは想像しがたい。なんなんだろうな、これは。
スタジオジブリの映画も、ナウシカ~千と千尋くらいまでは劇場公開を見に行ったけれど、スチルや予告編を見た期待と、実際の映画とのギャップを切なく感じたものだった。宮崎駿でさえ、期待ほどではない。たぶん、各断片のクオリティに、ストーリーラインが追い付いていないのだ。その後たくさんの映画やアニメを見て、宮崎が優れた仕事をしたのだと分かった。比較すれば素晴らしいのだ。
お世話する幼女
全く私事なのだが、最近5歳の娘が、「おとうさんのお世話は私がするね」と言って、風呂に入るときに服を脱がせてくれたり、洗ってくれたりする。とりあえず、どれだけ金を積んでも味わえない体験なので、身を任せているのだが、素晴らしすぎる!
何歳までおとうさんとお風呂に入るか、というのも重要なのだが、事前にこういう展開は想定していなかったので、ニマニマしてる。
閉じている人工知能
やはり、アウトプットを出す、役に立つ人工知能ばかりが多い。もちろん、世の中に必要だったり有用だったりするのはそちらなのだけど、かわいくないよね。かわいくない。目指しているのは有用なものなのに、いろいろ大事なものが届かなくてだめな子になっていると、かわいく思える。
小説を書く人工知能ではなくて、小説を読んで感動する人工知能とか、いいなあ。感動をアウトプットすらできなくて、ログを分析してみるとどうやらこいつはかなり感動しているようだ、みたいなだめっ子さんがいい。
有用ではないけれど、なんかね、自分が読んで素敵だった本を、そういうやつに読ませてあげたい。同じ部屋で、同じ本を読むのもいい。付き合いたての恋人じゃないんだから、感想を語り合わなくてもよくって、なんか時間とコンテンツを共有して、それぞれに重いふけるといいと思う。